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from 2003. 7.26
嗚呼、青春の饗宴に・・・
  
   ずいぶんと慣れてしまった
青春真っ只中のたかひろで〜す

 とうとう「崇弘の部屋」も3ページ目となりました。ということは、今月から僕も
晴れて高校3年生。昨年1年間、「崇弘の部屋」をお楽しみいただいた皆さん、
今年もよろしくお願いします。

 これからの1年間は、大学受験に向けての大事な年となります。現役合格を
目指して勉強も部活も生徒会(あと2ヶ月になりましたが)も頑張りつつ、HP更新
もやっていきますので、今までにも増してアクセスしてください。

 あっ、そうそう、妹の麻子も無事、というかまぐれというか、僕と同じ明善高校
に入学してくることになりました。4/8(火)は早速入学式です。さあ、これからは
僕のページ同様、妹のページ(「あさこの部屋」)もご覧下さい。

                                      (2003. 4. 1 記)

「崇弘の部屋」その1 へ
【高校一年生】

「崇弘の部屋」その2 へ
【高校二年生】

「崇弘の部屋」その4 へ
【大学一年生】


   2004. 3.22(月)

 
昨日が熊大の合格発表だったのだが、
母ちゃんの従弟の結婚式だったために、
熊本でのアパート探しは今日になった。

 両親と僕とで、高速に乗って熊本に向か
った。大学内にある生協には物件がいっ
ぱい掲示してあり、その中から僕の条件に
あった物件を3つ選んで不動産屋さんに案
物件を探す僕
内してもらう。結局、大学から自転車で5分ぐらいのところにあるアパートが気に入り
早速契約してもらった。しかし、アパートを借りるだけで、敷金や手数料などで20万円
もの大金がかかることを初めて知った。

 そのほかにも、電化製品や家財道具など次から次にいろんなものが必要になる。
それだけではない。電気・ガス・電話の申し込み、自動引き落としの手続き、インター
ネットの手続き、住民票や保険証など、一人暮らしってとても大変なんだということを
改めて実感。

 受験の時に大学の写真を撮りそこねたので、今回はばっちり撮ってきました。
文系学部の校門
文系学部の校門 よくわかりません
工学部の校舎 工学部の校舎 工学部の校舎
工学部の校舎

   2004. 3.21(日)

 
熊大の合格発表が21日!と書いていたら、やけにこのページのアクセスが増え
ている。このページの読者の方も、僕の合否が気になるのかな。というわけで、発
表しま〜す。
熊大合格発表1
熊大合格発表2   今回の僕の受験番号は「74401」。今回もインター
 ネットで合否の確認をした。ありました。今まで2戦2敗
 (防大除く)だった、僕に、ようやく春が来た。

  僕が受験した工学部環境システム工学科の今回の
 合格者は21名。左の合格者一覧を見ると、僕までの
 受験者で、最低400名はいる。その中で、前期試験に
 合格して、後期試験の受験を辞退した人がかなりいて
 実際の受験者は80名ぐらいだったと思われる。

  そんな中で、約4倍の倍率となった今回の受験。僕
 のあのデッサンで、よく合格できたな、と思う。センター
 試験と小論文で合格をゲットしたと言っても過言ではな
 いだろう。

  この合格を知って、僕の心が、そして父ちゃんが「そ
 れでいいのか」と問う。自分の第一志望の大学に行く
 ために一浪したらどうかと。だけど、母ちゃんがせっかく
 合格したのだから、さっさと出て行きなさい、とも言う。

  結局、地獄の浪人生活と天国の大学生生活をてんび
 んにかけ、大学への道を選んでしまった僕。しかし、こ
 れからの4年間を一生懸命に頑張れば、結果はおのず
 からついてくると・・・
 そんなかっこいいことを言って、僕の大学生生活がはじまろうとしている。しかし、
大学は高校生までと違って、家からは通えない。特に後期で合格が決定した場合
は、家を探すのがなかなか大変らしい。さあ、明日から家探し&引っ越しの準備で
忙しくなりそう。いろいろと僕の受験の結果についてご心配をおかけしましたが、お
かげさまで、何とか落ち着く先が決まりました。ありがとうございました。これからも
どうぞよろしくお願いします。
結婚式で「SHAKE」を歌う僕   そして、今日は母ちゃんの従弟の
 純平兄ちゃんの結婚式だった。高校
 を卒業した今、学生服では出席でき
 ないと、今日の結婚式のために写真
 のようなスーツを新調した。もちろん
 大学に入学したら入学式に着ていく
 つもりで・・・。無駄にならなくて良か
 った。

  父ちゃんから「いつもカラオケに行
 きよるけん、歌ってこい」と言われて、
 今日のノリノリの気持ちをSMAPの
 「SHAKE」で表して歌った。

   2004. 3.12(金)

 当然予想はしていたことだが、前期の九大に不合格になったことで、後期の熊本
大学を受験することになった。僕の将来の希望は建築士なので、希望学科は建築
学科なのだが、熊大は建築学科がない。一番建築学科に近そうなのが、環境シス
テム工学科だ。そして、後期の試験科目は小論文と実技(デッサン)だ。小論文はと
もかく、高校では書道選択の僕にとって、デッサンなどまったくやったことのない分
野だ。それでもこの難関をくぐり抜けなければ、合格はできない。

 九大の受験は試験当日、家からでも十分に行けるが、熊大は家から2時間ぐらい
かかるので、前日から熊本駅の近くのホテルに泊まって試験に備えた。当日は、朝
6時にモーニングコールを母ちゃんに入れてもらい、7時過ぎにホテルがチャーター
してくれたタクシーで試験会場である熊本大学に向かう。熊本駅から結構ある。

 試験は午前中3時間で、バリアフリーやユニバーサルデザインに関する小論文と
デッサンを一緒にこなさなければならない。3時間って、長いようであっという間に終
わった。時間が足りなかった。やはり、デッサンは惨敗だった。あとは、小論文とセ
ンター試験の結果がどれくらい評価されるかだ。

 帰りは、2時間近くかけて、大学から商店街を抜けて、熊本駅まで歩いて帰ってき
た。果たして、この道が僕にとって、これっきりの道になるのか、それとも4月から毎
日通る道になるのか、それは「神のみぞ知る」である。

 今回もデジカメを持参していったのだが、あいにく天気が悪かったので、うまく撮れ
ないと思い、1枚も撮ってこなかった。写真を期待されたみなさん、ごめんなさい。も
し、合格できたら、これからいやというほど、大学の写真を貼りつけますから・・・。

 発表は21日。

   2004. 3. 8(月)

 今日は、僕が受験した国立前期(九州大学)の合格発表の日である。午後2時に大
学に掲示されるということだが、僕は絶対に合格しているという手応えがなかったの
で、インターネットで確認することにした。
九州大学合格者受験番号一覧のトップ
九州大学工学部建築学科合格者受験番号一覧   午後3時までは九州大学のHPにはなにも表示されていな
 かったのが、3時過ぎて「更新」ボタンを押したら、
 「平成16年度 個別学力検査 合格発表 」という表示が
 出ていた。

  そこをクリックして、学部別に合格者一覧が載っているペー
 ジがあるので、僕が受験した工学部の建築学科にアクセス。

  工学部全体で1500人弱の人が受験しており、合格者が744
 人。そして、僕が第一志望としていた建築学科の合格者は、
 54人。僕の受験番号「T2216」を探したが、当然あるはずも
 なく、東京理科大に続いて2度目の玉砕。

  小学校から12年間同じ学校、そして高校2年まで同じ部活
 だった中尾くん(今回は実名を出したぞー)は見事、同じ工学
 部の機械航空工学科に合格した。「よかったね、中尾君」

  だけど、不合格になった友達もたくさんいる。まだ後期試験
 が残っているので、前期ダメだったみんなは最後のチャンス
 を目指して頑張ろう。そしてこの僕も、後期は熊本大学を受
 験することにしているが、合格の可能性は限りなく低く、浪人
 の足音がひたひたと近づいきている。

   2004. 3. 5(金)

 卒業式が終わり、気が抜けたようになった僕に担任の楠田先生から電話があった。
「教室に忘れ物があるから取りに来なさい」と。なんか気が重いなー。ついでに荷物も
重そうだなー。そんなところへ天の助け、母ちゃんが車で乗せていってくれるという。
ラッキー。だけど、そんな甘い言葉の裏に隠された陰謀を知るよしもなかった僕。
「がばよかラジオ」でのぺーさんとの対談   荷物を引き取り、偶然会った伊藤
 君から運動会のDVDを受け取って、
 車に乗ったら、母ちゃんが「ちょっと
 行くところがあるから」と車を六角堂
 に走らせる。

  どこに行くのかな、と思ったら、ドリ
 ームスFMサテライトスタジオだった。
 三方を透明なアクリル板で囲まれた
 そのスタジオでは、生放送で「がば
 よかラジオ」があっていた。
 僕たちの姿に気が付いたディレクターさんが、「ちょっと中に入って」と言う。「放送に
出てちょうだい」と言う。ええーっ、聞いてないよ、そんなこと。だけど、もう逃げられそう
もない。観念してマイクの前に座ることにした。

 実は今までに一度だけ「ドリームスFM」には出たことがある。明善の学校紹介みたい
な番組で、当時生徒会長だった僕は副会長の北島君と書記の星野さんと3人で番組に
出た。しかし、それは収録だったから間違ったら取り直してもらえた。しかし、この番組は
生放送だ。間違って口を滑らせたらどうしよう、等と思いつつすぐ始まってしまった。

 写真左の人が月曜日から金曜日まで毎日5時間の「がばよかラジオ」を担当されてい
る、たけうちいづるさん(愛称は「べーさん」と言うのだそうだ)。内心どきどきの僕の心を
見透かしたように、ちゃんと僕の気持ちに合わせて質問してくださる。「卒業おめでとう。
すごい頭になったね。妹さんに剃ってもらったんだって?」と、まー、こんな風にだ。

 卒業した今の気持ちや今後のこと、そして将来どんな仕事をしたいかなど、丁寧に親
切に質問されるからまったく上がることなく生放送に参加できた。ありがとう、べーさん。

 というわけで、僕のFM生番組初体験はこんな風にして終わった。母ちゃんは否定す
るが、きっとこうなることは予想して僕をスタジオに連れて行ったんだと思う。やっぱり、
甘い言葉の裏には何かあることをちゃんと考えなくちゃいけないな、と思った。

   2004. 3. 3(水)

 今日は、高校の卒業式。とても寒 
かった。だいたい雨の予報だったの
だが、何とか雨は降らずにすんだ。

 僕は入学式も卒業式も雨が多い。
だけど、この雨は「雨降って地固ま
る」の雨といい方に解釈しよう。

 卒業式が終わってクラスで一人ず
つ「一言」を言って、最後に楠田先
生の(長〜い)話を聞いて、先生にみんなからの花束贈呈。この3年間あらゆる場面で
集合写真を撮ってきたが、これが本当に最後の集合写真。写真をクリックすると、拡大
写真(800×600ピクセル)が見られます。必要な方はダウンロードして、印刷してね。

            第55回 明善高等学校卒業証書授与式
校訓の石碑の横で卒業証書を持って   明善高校の中でもっとも明善らしい場所と言えば、
 やはりここだろう。正門から入ってすぐの左手にある
 校訓「克己・尽力・楽天」が彫り込まれた石碑のある
 ところ。

  毎日、僕たちが登校してくるとき、そして下校すると
 き、僕たちをじっと見守ってくれていた石碑。「克己」
 も「尽力」も中途半端だったような気がするが、「楽
 天」だけは間違いなくその境地に達したと思う。

  卒業式が終わって、同級生や部活の仲間達といっ
 ぱい写真に写った。そのページは下をクリックしてく
 ださい。
 
         卒業式後の打ち上げ
部活の後輩達からもらった花束

部活の後輩達からもらった花束

   2004. 3. 2(火)

 いよいよ、明日が卒業式と迫った。例年、明善高校では卒業式の前日に、皆勤賞
などの表彰式と、同窓会入会式がある。昨年は、祝福する側だったが、今年はその
当事者となる。しかし、僕は皆勤賞(3ヶ年、1ヶ年)や明善賞のどちらにも該当しない。
ただ、みんなが表彰されるのを、手をたたいて祝福してあげるのみだ。

 ところで、僕は明善高校を卒業する今日まで、この明善賞や皆勤賞というものを見
たことがなかった。今回友達が受賞して初めて間近で見せてもらった。ついでに、写
真に撮らせてもらったので、まだ見たことのない後輩諸君のためにも、卒業の時に、
こういうものがもらえるように、高校生活を頑張って欲しいという意味も込めて、現物
の写真を公開します。ただし、受賞した人の名前は、消しています。

                 明善賞・皆勤賞

                 平成15年度表彰式のページ

   2004. 2.28(土)

 僕は、将来建築家になりたいと思っている。そし 
て、僕の尊敬する人は、あの「安藤忠雄」さんだ。
プロフィールを見ると、大学の建築部を卒業されて
いる形跡はないのに、独学で建築を学ばれて、現
在、東京大学の名誉教授をされている。

 本当にやりたいことを貫こうとすれば、大学なん
て行く必要はないと思うのだが、僕のような凡人に
とっては、とりあえず大学に行かないと、何から取
り組んでいいかわからない。

 その安藤さんが福岡で講演をされると新聞に載
っていた。こういう方だからたくさんの人の公聴が
予想される、ということで、申し込みが必要となり、
FAXで申し込んでいたものの、今日、左のような
申し込み落選のお詫び状が届いた。残念ではあ
るが、講演の日の3/3は卒業式なので、夕方から
の講演とはいえ、多分行けないだろうと思う。また
次の機会には是非聴きたいと思う。
 だけど、はがきの表書きに書かれていた僕の名前(崇弘)が嵩弘と間違って届いた
ことが、ちょっと悲しかった。僕の名前は「山が高い」のではなく、「山の下に宗」だよ
〜ん。             (※お詫びのはがきをクリックすると拡大画像が見られます。)

   2004. 2.25(水)〜26(木)

 いよいよ、今日と明日は国立大学の前期二次試験の日だ。センター試験からひと
月以上の二次への準備期間。かなり長かった。とにかくこれで終わりにしたい。

 昨日、同じ九大を受験するN君が、会場の下見に行ってくれていたので、今日はJ
Rで、落ち着いて行くことができた。今日の二次試験にはセンター試験の時の写真
入受験票と個別学力検査受験票を持っていかなければならない。

 今日が、午前中英語、午後から数学。試験が終わったのが午後4時。そのあと、
いろいろと説明を受けていたら、5時にしか会場を出られなかった。数学は苦手なベ
クトルや確率などが出て、かなり難しかった。さあ、明日の理科(物理・科学)で、すべ
て終わりだぁーーーーー。

 翌日(26日)。今日は、理科(物理・化学)の試験だ。10時から始まって、12時にはす
べて終わる。昨日も難しかったが、今日の理科も難しかった。きっと、ダメた゜ろうと
思う。結果は3/8(月)。多分、もう来られないだろうと思って、大学の写真を撮ってき
た。
工学部棟 .  事務局
工学部棟 事務局

   2004. 2.21(土)

 東京理科大が不合格になったから、というわけではないが、国立の二次試験まで
あと4日しかないというのに、なんかダレてしまっている僕。もう学校に行かなくてよく
なったというのもあるが、朝もシャキッと起きられないし、起きてもなかなか勉強する
気になれない。こんなことではいけないことはわかっているのだが、みんなはどうし
ているのだろう。

 まー、それでも重い身体を奮い立たせて昼頃家を出る。とりあえずおなかを満たす
ために、モスバーガーに寄る。先月末に新発売となった「匠味レタスバーガー」を食
する機会がなかなかなかったが、今日はうまい具合にタイミングが合って食べること
ができた。しかし、食べ方がまずくて、中身をボロッと落としてしまうという醜態を演じ
てしまった。

 まー、それでやる気が出てきたというか、そのままモスバーガーを塾代わりにする
ことに決定。晩にもここの大根バーガーを食べたが、さすがにここで9時間も10時間
も勉強をやるというのはかなり無謀な行為である。もう、集中力がとぎれてきたので
帰ることにした。
 またまた、母ちゃんが梅林寺の掲示板 
で左のような写真を撮ってきた。ここの
和尚さんって、受験生に合わせてこんな
言葉を書いているのか?

 だけど、どうせ咲くなら「梅」ではなくて、
「サクラ」にしてほしいものだ。

 もう泣いても笑ってもあと4日。全力を
出し切るのみだ。
梅林寺の入り口に書いてあった言葉その2

   2004. 2.17(火)

 今日は、先日受験した「東京理科大学」の合格発表日だ。今は学校の合格掲示板
を見に行く必要もなく、合否を知らせる電報を頼む必要もなく、発表の時間になったら
インターネットで合否を確認することができる。

 で、僕が受験した理工学部建築学科の発表は今日の午前10時からだった。今日は
卒業までに課せられた最後の出校日だったので、母ちゃんがネットで調べて知らせ
てくれた。結果は残念ながら「サクラチル」だった。不合格だったのは残念だったけど
これで退路を断って、第一志望の大学に向けて頑張ろうと思う。
 
             【インターネットでの合格発表】
 受験番号「0001」から
 「2300」ぐらいまでの
 合格者の番号が記入
 されている。

 僕の受験番号は「0981」
 だったので、残念ながら
 この一覧表には載って
 いない。
中  略

   2004. 2. 5(木)〜7(日)

 昨日、母ちゃんにシュミレーションしてもらった、福岡空港までのアクセスはうまく行
ったのだが、10:40発のJAL362便の出発が20分程度遅れた。実は、羽田空港には、
日本郵政公社に勤める従姉の里香姉ちゃんが迎えに来てくれて居たので、飛行機
が遅れて、心配をかけてしまった。

 里香姉ちゃんは東京に住んで8年。東京の地理にはとっても詳しいので、もう大船
に乗った気分。昼食を空港内の「昴」で「雅膳」(里香姉ちゃんの娘の名前が「雅」ち
ゃんと言うんだ、って関係ないか)を食べ、おみやげを買う。空港からはお決まりのモ
ノレールに乗って、浜松町→(山手線)新宿→(中央総武線)飯田橋と、田舎者の僕じ
ゃー、絶対に一人では乗り換えできないコースで、ホテルに案内してもらった。
東京理科大学の校舎   左の写真は何でしょう?どこかの企業の本社ビルと
 見間違うほどの立派な建物が、僕の受験校「東京理科
 大学」である。大学と言えば、広大なキャンパスがあっ
 て、建物の高さはせいぜい4階ぐらいまで、と思ってい
 た僕にとっては、カルチャーショックである。

  今回の受験日記は下記をクリック

      田舎者・崇弘の東京受験記

 そして、翌日は母ちゃんから「あんたは絶対に行けないから、東大の赤門を撮って
きなさい」と言われていたので、地下鉄南北線に乗って東大前で降りて、東大に行っ
てきた。赤門や安田講堂を見たとき、同級生のO君はここに来るんだろうなーと思い
写真を撮ってきた。
かの有名な東大の赤門 テレビでよく見る安田講堂 東大のキャンパス
かの有名な東大の赤門 テレビでよく見る安田講堂 東大のキャンパス

   2004. 2. 4(水)

 いよいよ明日は、TK大を受験するために東京へ発つ日だ。日程は二泊三日なの
だが、今回は初めて自分一人で飛行機に乗って、東京に行くということで、なんとなく
落ち着かない。母ちゃんから福岡空港へのアクセスをいろいろとインターネットで調
べてもらい、結局、西鉄電車と高速バスで空港に行くことに決定。10:40発JAL362便
に乗るために、家を8時半に出る(ちゃんとお気に入りの「冬ちゃん」を見てから)。うち
から最寄りの西鉄電車の駅発8:46に乗り、西鉄久留米発9:00の福岡空港行き高速
バスに乗って、空港に10時頃に到着すれば、あとはなんとかなるだろう、というわけ
だ。だけど、国内線も3つのターミナルに分かれているらしいから、東京行きがどの
ターミナルかを間違えないようにしなければならない。受験より、まず東京に着くこと
の方がずっと難題のようだ。
梅林寺の入り口に書いてあった言葉   母ちゃんが、数日前に梅の撮影に行った
 「梅林寺」で入り口の所に書いてあった、こ
 の言葉を写真に撮ってきたと言って、僕に
 見せた。

  「大事」・・・すなわち大学入試に合格する
 ためには、今は小さな誘惑は断ち切らなけ
 ればならない、ということなのだろう。あと少
 しとなった、入試まで、とにかく悔いのない
 ように頑張らなければならないと思った。

   2004. 1.27(日)

 今年に入ってずっと体調が悪かったのだが、ここにきてようやく復調してきたよう
だ。センター試験で思ったほどの点数が取れなかった僕にとっては、とにかく二次
試験で精一杯やるしかない。だけど、僕の部屋は勉強するには最悪の環境なのだ。

 まず、エアコンが効かない。クーラーは効くのだが、暖房は全くと言っていいほど効
かない。それに机の上も畳の上も散らかっていて、勉強する気になれない。(ぜいた
くだと言われそうだが)それで、大学入試が終わるまで、妹の部屋を貸してもらうこと
にした。妹の部屋のエアコンはばっちり効く。机の上もわりと片づいているので、すぐ
勉強できる。みんながいる居間からも一番遠いので、いろんな雑音に邪魔されるこ
ともない。

 と、順調に二次試験に向けて勉強をやっている僕に母ちゃんが「ほら、ちょっと早い
けど、バレンタインのプレゼントだよ」と言って、透明のビニール袋に入った人形みた
いなものを持ってきた。よく見ると柄物のトランクスを人形のように折り曲げてあった。
僕の友達のお母さんが下着の販売をやっていて、その人から勧められて買ってきた
そうだ。

お人形の形に折られたトランクス   . 広げたトランクス

 左の写真が人形の形をしたトランクス。右が広げたものだ。さわってみるといつもの
トランクスと全然違う。その上、左右に収縮する。母ちゃんが「高かったとよー。1枚で
1,900円もしたとー」と言う。いつもは2枚組で1,000円ぐらいのしか買ってくれないから
それのなんと4倍だ。「これは必勝パンツやけんね。試験の時まで履いちゃいかんよ」
と言う。じゃー試験の前夜に僕にちょうだいよ。それにしても、なんともおかしなバレン
タインのプレゼントだった。

   2004. 1.22(木)

 センター試験以来続く寒波に身も心も凍るようだ。昨夜から降り続いた雪は、今朝
起きたら、10数センチ積もっていた。当然、自転車で通学できるはずもなく、妹の麻
子と一緒に、久々のJR通学となった。

 センター試験も終わった今、残るは2月の初旬から始まる私立の試験、そして、下
旬から始まる国立の二次試験(前期・後期)を残すのみになっているから、学校に来
ても、以前のように授業があるわけではなく、今日のように、通学に支障をきたして
いる場合は、途端に出席者の数が減る。今日なんか、僕も含めて男子はたった4人
しか来ていなかった。学校に一番近いS君やその次ぐらいに近いU君も来ていない。

 だけど、今日休んだら、皆勤賞にならないんだぞー。もちろん僕はとっくに脱落して
いるけどね。今年は3ヶ年の皆勤賞はどれくらいいるんだろうか。さあ、卒業まであと
ひと月半だ。その前の試験を何とか突破して、第一志望の大学に入学したいものだ。

   2004. 1 19(月)

 昨日と一昨日行われた、センター試験の自己採点の日。自分ではまったく見当が
つかなかったので、今日学校で採点してみて、今更に厳しいことが判明。僕が志望
している学科の最低ラインとかなりの乖離がある。だけど、まったく可能性のない点
数でもない。こうなれば、志望校変更などせずに、とにかく二次試験に向かって頑
張るのみだ。

 それにしても、理数科のO君、900点満点の869点も取っていたそうだ。平均96
点というすごさだ。先生方が解いても、これだけの点数が取れたかどうかは自信が
ないと、おっしゃていた。さすがは東大A判定のO君だ。僕と同じ中学校のM君も
820点を超える点数を取っていた。その他にも700点を超える点数を取っている友
達はたくさんいる。

 だけど、これで合否が確定するわけではない。2/25以降に始まる二次試験(前期)
の結果と総合的に判断して合否が確定する。今度は僕が得意な理系科目と英語で
の出題だ。だけど、理系を受ける人はみんな理系科目が得意なわけで、僕が有利
になるというわけでは、絶対ない。

 まー、そんなこと考えたって、どうなるものでもなく、まず、2/6(金)の私立に合格し
て、それから、ひと月後の二次試験に全力投球あるのみだ。

   2004. 1.17(土)

 さあ、いよいよ始まったセンター試験。当たり前だが、僕たち現役にとっては初めて
の経験である。その上、今朝起きたら、一面真っ白。頭も心も真っ白にして(って、そ
んなじゃ、全然できなくなっちゃう)試験に臨めってことかな。
僕たちが試験を受けた「河合塾 福岡校」   僕もだけど、きっとみんなも緊張してい
 ると思う。そして、このページをいつも見
 てくださっている方へ、新聞記者でも撮
 影できない、試験の合間の休憩時間に
 撮った貴重な写真をこっそりアップしま
 す。

  みんな、とぼけて写ってくれたけど、ほ
 んとは、精一杯ぼけたふりをしてくれた
 んだ。
  この写真をクリックしてください。

   2004. 1.16(金)

 泣いても笑っても大学試験センター試験が明日に迫った。ほとんどの生徒が受験す
るので、例年試験前日に“激励会”と“出陣式”が行われる。今日も3時限目まで授業
があり、4時限目に柔道場で行われた。

 今日まで2年生の修学旅行なので、校長先生は引率して行かれているために、今
日の挨拶は、総括教頭先生だった。それから教頭先生と進路指導主任、学年主任に
続いて、各クラス担任・副担任から一言ずつ激励の言葉をいただいた。いつもはまじ
めそうにしている、理数科のS先生も緊張のあまりにつまってしまって、大爆笑。8組
のH先生、総文のH先生等、僕たちの士気を高めたり、落としたり、和やかにも厳粛
に行われた。

 そのあと、センター試験に臨む僕たちの出陣式。青組応援団長の松下くんの指揮
により、明善の応援歌である「白旆の歌」を全員で合唱して、明日への健闘をたたえ
合う。みんな全力を尽くして悔いのないように頑張ろうね。

 今夜はじたばたしても仕方がないので、「ミュージックステーション」で平原彩香を見
て、9時からは「スチュワーデス刑事(スッチー デカ)」を見て、とっとと寝ることにしま
す。

   2004. 1.14(水) 

 いよいよ3日後に迫ったセンター 
試験。ここに至って、どうあがいても
どうなるものでもないが、バドミント
ン部の後輩たちが、右のような激励
の寄せ書きをくれた。中には、「来年
一緒に受験しましょう」などという不
届きなメッセージを書いている者も
いるが、後輩たちからの暖かいメッ
セージ、とてもうれしかった。
  クリックするとの寄書きの拡大が
バドミントン部の後輩からもらった激励の寄せ書き

   2004. 1. 9(金)

 センター試験まで、あと1週間と迫ったのに、年明けから引いた風邪のせいで、体調
が超悪い。近所の医院に通ってお薬を飲んだり、点滴を受けたりしているが、まったく
よくならない。塾に行く気もしないし、まっすぐ帰宅してもそのままベッドに直行で、まっ
たく勉強に手がつかない。

 センター試験を直前に控えて、下がりまくったモチベーション。それが態度にも出て
いるらしく、友達や後輩から「いつも元気な藤木が、どうしたとー?」と言われてしまっ
た。そんな僕(だけじゃなく、受験生全員)を励まそうと、妹の麻子と2年生の大場さん
が書いてくれている書を何点か、下に貼りつけます。もう泣いても笑っても1週間。ケ・
セラ・セラの心境で頑張るだけさ。
麻子 書(祈 合格) 麻子 書(ぜってぇ 負けねぇぞ) 郁佳 書(天才は1%の才能と・・・)
麻子 書(祈 合格) 麻子 書(ぜってぇ 負けねぇぞ) 郁佳 書(天才は1%の才能と・・・)

   2004. 1. 3(土)

 今年もとうとう明けてしまった。冬休みに入っても、課外と塾と模擬試験で、暮れも正
月もない状態だったので、「いつが元日だったっけ?」という感じだった。元日・二日と
北九州予備校の模擬試験(センター試験前の実質最後の対外模試)があり、今日から
通常の塾が始まった。もう、泣いても笑ってもセンター試験まであと2週間しかない。

 そんな僕たちに、塾(全教研)から学業成就の破魔矢をもらった。久留米の日吉神社
のものだ。それから、これは昨年模試を受けに行った代ゼミの模試会場でもらった御
札もついでに貼っておく。この大学名は、すべての御札に書かれており、要するに九
州大学を受験しない人でも、だれでもかれでもに渡していた。これも一種のお守りか。
日吉神社の破魔矢            . 御札
日吉神社の破魔矢 御札

   2003.12.24(水)

 いよいよ2学期が終わってしまった。先週から始まっている三者面談を麻子との関係
で今日に設定していた。麻子の面談が長引いているらしくて、僕と先生の2人で始めて
いた。終業式につきものの通知票が出せないと言われる。なぜかというと、僕が1学期
の通知票を返していなかったから。そんな話をしている頃に母ちゃんが面談室に入って
きた。案の定、「バカねー」と言われたが、そんなことはしょっちゅうなので、それほど怒
られなかった。

 いよいよ、本題。まず、国立はどこを受けるか。センターで失敗したときに受験する大
学を変えるか、そのままでいくのか。私立はどこを受けるか。私立に合格して、国立が
不合格だった場合私立に行くのか、浪人するのか。いろんな場合が想定される。それ
で、国立は何があってもK大を受験することにした。私立はW大とTR大と地元のF大の
願書を取り寄せていたが、結局TR大だけ受けることにした。国立よりむしろ私立の方が
難しいのではないかと言われる。滑り止めにはならないぞ、と言われる。僕もそんなに
甘いとは思わない。TR大にもしも合格すればK大受験への自信になるのではないかと
思うだけである。

 東京の私大となれば経済的な問題もある。たぶん、行かせてもらえないだろうと思う。
だから、できるだけ地元のK大に合格したいと思う。だけど、今のところ合格できる確率
はかなり低いと先生は言われる。それでも、K大一筋で頑張ってきたんだから、ここま
できたら、ブレたりせずに頑張りなさいと言われる。泣いても笑っても、センター試験ま
で、あと24日。死にものぐるいで頑張るしかない。

   2003.12. 16(火)

 先週に続き、また風邪で休んでしまった。センター試験まであとひと月というのに、こん
なことでは、試験を受ける前の体調管理で不合格になってしまいそうだ。こんな、病気の
僕をかあちゃんはほったらかして、福岡に遊びに行ってしまった。何でも幼なじみが、福
岡三越で油絵の展示会をやっているとかで、それを見るついでに、キャナルシティや天
神界隈のイルミネーションを見てくるという。なんとまあ、光ものの好きな母ちゃんだ。

 だから、午後からは僕とおばあちゃんの二人だけになってしまった。で、おばあちゃん
が、僕に以前から欲しかった毛糸の帽子とセーターを買ってくれると言う。
  そこで、ユニクロに連れて行ってもらい、右の写真 
 のような、帽子とおまけに毛糸のセーターまで買っ
 てもらった。僕が制服の上にコートもジャンバーも
 着ずに通学しているのを見て「寒いだろうから」と、
 買ってくれたのだ。ラッキーである。薄地だが、着て
 みると暖かい。

  夜の10時過ぎに帰宅した母ちゃんは、イルミネー
 ションの写真や動画をどっさり撮ってきており、僕に
 「ねえ、見てごらん。きれいかろー」と言う。きれいは
 きれいやけど、今はそんな余裕はないことわかって
 よー、と言いたかったね。
おばあちゃんに買ってもらった帽子とセーター

   2003.12. 9(火)

 この前の土・日(6,7日)はセンター試験受験前最後の校外模試だった。この結果で
最終的な受験先を決定するという大事な模擬試験だった。それなのに、どーも土曜日
の試験が終わった頃から体調がおかしくなってきた。いつもなら、その後塾に行って、
10時ぐらいまで勉強してくるのに、5時には帰宅してずっと寝てしまっていた。

 翌日は朝から起きあがれない。どうしても学校に行けそうにないので、電話をして、
また寝てしまった。母ちゃんが気を利かせて、学校まで今日の分の問題を取りに行って
くれたのだが、どうしてもやる気が起きない。それでもやろうとして、開いてみたら、国語
の問題が入っていない。それで、担任の先生に電話したら「無理してしなくてもいいよ。
できるときにやって、データが帰ってきたらコンピュータに入力して判定をしてやるから、
今日はゆっくりしてやすみなさい」と言われる。

 それに安心した僕は、翌日も朝起きられなかった。でも、とにかく出校しなければと、
思い、母ちゃんに「病院に連れて行ってよ」と言ったら、なんと母ちゃんまで風邪でダウ
ンしている。どうやら僕のがうつったらしい。で、おばあちゃんに連れて行ってもらって、
学校には3限目の途中についた。で、5限目が終わったところで早退してきた。

 この2日間、なーんにもやらずに寝ている。そして、今日も学校を休んでしまった。受
験前の大事な時だというのに。でも、無理して学校に出て行ってひどくなったら、よけい
にくやしいし、今日一日、ゆっくりと寝ていることにした。

   2003.12. 2(火)

 いつものように夜遅く塾から帰ってきたら、母ちゃんがニタニタして、僕に携帯の液晶
画面を見せる。何かなと思って見てみると、「Happy Birthday」というメッセージとともに
先日麻子がUFOキャッチャーでゲットした人形の写真が麻子から送られてきている。
それを見て初めて、今日が母ちゃんの誕生日だったことを思い出した。まー、母ちゃん
も僕からのプレゼントやおめでとうメッセージは期待していないようだが、やはり忘れて
いたことに少々後ろめたさを感じた僕は、こんなプレゼントを持ち出した。
防衛大学校の1次試験合格通知  「あのさー、僕、防大の一次、合格したよ」「そう、
よかったわね。これで、一応最悪の場合行くところ
が決まったじゃない」と、またまた嫌みなことを言う。
「あのねー、防大に入学するには二次試験に合格し
ないとだめなんだよ。だけど僕は二次試験は辞退す
るって先方に伝えてるんだもん」「だけど、もったい
ないわね。ところで、何人ぐらい合格したの?」

 すると横から麻子がすかさず、「80人か合格したっ
て聞いたよ。そのうち文系が11人だったんだって」さ
すが、我が妹情報が早い。どうやら1年生の先生か
ら情報を仕入れているらしい。
 
 で、結局情報を整理すると、3年生400人のうち防
大を受験したのが約320人。そのうち、合格したのが
約80人、ということは約4分の1。25%の合格率とい
うことになる。まっ、行くつもりはなくても、落ちるよりは合格した方が気分がいい。
ああ、今週末は最後の校外模試、そして、あとひと月ちょっとでセンター試験だ。最後
の追い込み頑張るぞ。

   2003.11.28(金)

 今、NHKの朝ドラは「てるてる家族」が放送されている。総合テレビでは、月曜から土
曜までの毎朝8時15分から15分間放送されている。もちろん普通の日は課外があるか
ら見ることはできないが、今はテスト中なので、課外がない分だけ家を出るのが遅くて
いい。歴代の朝ドラも話のネタに見られるときだけは見ていたが、今度の「てるてる家
族」は4人姉妹と、その母親そして回りの人が繰り広げる人間模様を描いているドラマ
らしい。この4姉妹の次女が歌手であり女優のいしだあゆみ、そしてその妹の夫である
なかにし礼が原作者だそうである。

 今回も土曜日にちらちらと見ただけだったのが、何となくおもしろくてハマってしまっ
た。特に何の取り柄もない、四女の冬子ちゃんのほわーっとした感じがいい。それとは
対照的なステージママの照子さんのひたむきさもいい。とにかくこの家族が醸し出す、
暖かな雰囲気がいいのだ。あと50日ほどに迫ったセンター試験に向け、きりきりとした
生活を送っている僕にとって、ひとときの心のやすらぎなのだ。

 しかし、最後まで(8:30)見ていると、課外の無いときでも、HRの時間に遅刻しそうにな
る。だから、途中で母ちゃんに追い出されてしまう。後ろ髪を引かれるような思いだ。だ
けど、そんな毎日も試験が終われば、また早くうちを出なければならなくなる。さびしい
なー。
 
   2003.11.18(火)

 そろそろ受験する私立大学を決める時期になってきた。一応、願書はインターネット
で取り寄せて、ぼちぼち送ってきている。そして、実際受験するときに、東京の大学は
泊まるホテルの確保もしなければならない。学校にJTB(日本交通公社)のカタログが
置いてあったので、持って帰ってきて両親に「予約しといていい?」と聞いたら、父が、
「もし、そこに合格したらどうするつもりだ」と聞く。

 「通っても、お金が大変だから行かないよ」と言ったら、「じゃー、受けなくてもいいだ
ろー」と言われた。まー、僕にすれば力試しのつもりで、合格するかどうかわからない
けど、合格したら第一志望の大学の合格への目安になるからと説得した。すると、「お
まえ、その大学がどこにあるのか知っているのか?ちゃんと一人で行けるのか?」と
言う。父ちゃんだって、東京に行った時に、行き先がわからないからと、インターネット
でいろいろと調べさせたくせに。何とかなるよ。「かわいい子には旅をさせろ」っていう
でしょ。

   2003.11.10(月)
ピサ゚をほおばっている僕   土日でとりあえず防大の入試が終わってほっと一
 息の僕。昨夜は遅くまで母ちゃんに付き合って選挙
 速報を見ていた。次の総選挙ではたぶん選挙権を
 得ているだろう。投票をした後の開票速報は、違っ
 た感想で見られるだろう。

  今夜は父ちゃんが当直でいないので、手抜きの母
 ちゃんと僕の意見が一致して、ピザのデリバリー。

   2003.11. 8(土)

 いよいよ、受験本番となってきた。今日と明日、「防衛大学校」の入学試験がある。久
留米の幹部候補生学校が試験会場だ。以前バドミントンをやっていたときに、ここの前
を通っていたから、場所はよく知っている。

 昨夜、母ちゃんのご機嫌が悪かったので、「明日、7時半頃起こして。友達とセブンイ
レブンで待ち合わせしているから」とだけ、言っておいた。朝はちゃんと起こしてくれた
のだが、僕が寝ていたベッドにそのまま潜り込んで寝てしまった母ちゃん。だいたい、
子供が受験に行くのに、送り出してもくれないなんて・・・。って、別にどうでもいいけど
ね。今回の防衛大学受験は力試しみたいなものだから。

   2003.11. 4(火)

 先週の土曜日(1日)が、中学生による体験入学の日だったので、土曜日なのに普通
通り6時間授業だった。その代休が今日だった(3日の月曜日は「文化の日」)。それな
のに、1,2年生はかわいそうに実力テストだ。麻子も代休だと言うのに朝早くから出て
行った。

 ふっふっふー、そこで残ったのは僕だけ。朝もゆっくり寝てしまった。そして、気がつい
たら、もうお昼。母ちゃんが「お昼、どこかに食べに行こーか」と言う。そこで、すかさず
「モス・バーガー」と僕。
 「マクドナルドハンバーガー」に対抗して、
高級感を打ち出したハンバーガーを最近
発売している。僕もそれを食べたいと思い
ながら、この高級バーガーは1日限定20
個ということで、夕方行くと、もう売り切れて
いる。

 で、今日はお昼だから、ちゃんと食べられ
た。1個580円(税別)。ちゃんと製造責任者
の名刺までついてくる。
モスの超高級バーガー「匠味」
モスチキンバーガー   おまけに左の「モスチキンバーガー」まで
 たのんでしまった。これだって、マックみた
 いに1個100円てなわけにはいかない。
 上の「匠味」と合わせて、たかが、ハンバー
 ガー2個で900円にもなってしまった。

  どさくさにまぎれて注文してしまった僕。
 母ちゃんにこっぴどくしかられたことは言う
 までもない。

   2003.10.29(水)

 
僕はこう見えても受験生だ(改めて言うまでもないが)。それなのに、うちの母ちゃん
ときたら、一昨日「明後日は『キダム』だからね。わかっとるやろー」と言う。確かに「キ
ダム」のチケットを手配しているときには、「僕も行くから」と行ったような気はする。だ
けどあれは、僕がまだ2年生の時だった(ような気がする)。それから、9ヶ月も経って、
「キダム」が来てま〜す、なんて言われてもねー、と言う気もするが。

 しかし、毎日の受験勉強の気晴らしに「キダム」を見に行くことにした僕は、今日の放
課後課外の担当である数学のH先生に「今日の課外、休みます」と言いに行った。
「なんでや?」と聞かれたので「キダムを見に行きます」と言ったら、「おまえ、受験生
やろ、そんなヒマがあるのか」と言われた。と言ったかと思うと「オレも10年ほど前に
「オペラ座の怪人」を見に行ったことがあるんだ」と関係のないことを言われる。「まー
気晴らしに楽しんでこい」と言われたような、言われなかったような。

 学校まで母ちゃんが車で向かえに来ていたので、麻子と3人でその車に乗って、西
鉄久留米まで行き、電車に乗って福岡へ。2日前に日本シリーズで優勝したダイエー
の「優勝記念バーゲン」などのポスターがあちこちに張ってある。とりあえず、腹ごしら
えをどこでしようか、ということになって、結局、麻子の意見でソラリアステージ地下の
「グランシェフ」になった。僕はパスタとグラタンのセットを食べた。(写真左)
                                                     
グランシェフで「パスタ」を食べてる僕 「キダム」の看板の前で3人で記念撮影
 
 「キダム」の会場は福岡ドーム前の「ホークスタウン」内に設置された巨大テント「新・
ビッグトップ」だ。だけど、福岡でのバスはどれに乗っていいかもわからない。僕も麻子
も借りてきた猫のように、母ちゃんの後ろを付いていくだけ。天神から、都市高速に乗
って、20分ぐらいで福岡ドーム前に着く。2日前はここが、感動と興奮で揺れたんだろ
うなー、と思うと、これから始まる「キダム」のショーに期待がふくらむ。

 「SS席は11,000円だけど、ちょっと高いのでS席にしたよ」と、母ちゃんが言っていた
割には、結構いい席だったね。一部と二部の間に25分間の休憩が入って、いよいよ
ショーもクライマックス。やっぱり本物は違うね、って感じだった。ユーモアとペーソス
にあふれた役者たち、真剣勝負の演技を見せてくれるメンバーなど、課外を休んでで
も見に来た甲斐は十分にあった、ってもんだ。

 しかし、これから約一週間後にダイエーホークスが大揺れに揺れるとは誰も予想で
きなかった。

   2003.10.25(土)

 ます、前回の続き。生徒手帳は無事出てきました。どこからか、って?おばあちゃん
が僕の部屋を掃除していたら、僕の綿パンのポケットに入っていたそうだ。それなの
にまだ「盗難届」を提出していない僕。

 で、今日のことに戻ります。
 今月は変則的になっていて、今日が土曜教室の日だった。なのに僕はズルしてし
まった。なんか体が起きあがれないのだ。で、気が付いたらお昼近くになっていた。
こんなとき、母ちゃんがまたまた僕を変な道に誘うのだ。「今日は麻子が太宰府高校
で書道の県大会がありよるけん、見にいかん?」要するに僕に地図を見ながらの道
案内をしてほしいのだそうだ。塾には行かなきゃならないけれど、別にどうでもよかっ
たので、「いいよ」と言って、家を出た。

 3号線を北上して、太宰府方面へ向かう。結構わかりやすい場所にあったので、迷
うことなくたどり着けそうだった。ところが、前から歩いてくる女生徒たちに見覚えが
あった。麻子達だ。僕たちの車を見かけると、「乗っていいよ」とも言わないのに、ず
かずかと乗り込んできた。そして、うるさいこと。ずーっとしゃべっている。
美女達(?)と野獣   お昼はどこで食べようかと捜して
 いたら、左手に「ゆめタウン」が見
 えてきた。「じゃー、ここでオムライ
 スにしよう」と母ちゃんが言う。

  そして、その後のデザートがこれ。
 ソフトクリームだ。クリームやトッピ
 ングの種類がいっぱいあって、選ぶ
 のに迷うほどだった。

  そのソフトを食べている僕を二人
 の女達が両方から挟む。まるで、両
 手に花、いや両手に“アヘン”だ。
 毒牙をいっぱい持った後輩達が僕をいじめる。だって、後輩のくせに、僕のこと「ふ〜
じ〜き〜」だもんな。そして、その毒牙にかかっても、仕方なしに言うことを聞いている
僕が情けない・・・


   2003.10.17(金)

 またか!と思われてしまいそうだが、またやってしまったのだ。「何を?」と言われる
あなたは、まだ初心者。このページをじっくり読んでいる人なら、「ふーん、またあいつ
盗られたんだな」とすぐわかるはずである。その通り、また自転車を盗られてしまった
のだ。毎日学校からまっすぐ、西鉄久留米駅近くの塾に通っているのだが、その日に
限ってカギをかけていなかった。犯人って、そんな自転車ばかりを狙っているんだろ
うけど。なんで僕ばっかり、と言いたくもなる。これで6回目だ。もちろん、すべて出て
きたので、実害はないのだが・・・

 その日は電車とバスで帰ってもよかったのだが、どうせおこられるのなら、迎えに
きてもらおうと、母ちゃんに電話したら予想通り、こっぴどくしかられてしまった。だけ
ど半分はあきれてものも言えない状態だったね。「ちゃんど自分で盗難届は出してお
きなさいよ」と言われた。「身分を証明するものを持ってね」と。身分を証明するものっ
て、今の僕には「生徒手帳」か。よく考えたら、生徒手帳も紛失したままだ。そのこと
を言ったら、またまたおこられた。「だいたい、あんたは大事なものとそうでないもの
との区別がついとらん」と。ごもっともです。だけど、ないものはないから仕方がない。

 その日から毎日、「生徒手帳」の再発行をしてもらうように事務室に言いなさい、と
言われるのだが学校に着くと忘れてしまう。そんなこんなで、一週間。15日(水)は総
括教頭の面接の日だった。ところが、お父さんが亡くなられたとかで、水曜日はお休
みだった。数日休まれるのか、と思っていたら、明日には出てこられるという。

 で、一日遅れで総括教頭の面接があった。まず、総括が「君のお母さんはよーく知
っているよ。いつも、HPなども素早く作ってもらっているし」と言われた。先週の土曜
日に明善の大同窓会があって、その際もいろいろと話しているらしくて、僕たち子供
よりも、母ちゃんは先生達と仲がいい。もちろん、生徒会長だったから、僕のこともよ
く知っているよと、言われた。そんな話の後は総括からの質問。「どんな大学を受験
するつもりなの?」「家でどのくらい勉強しているの?」「将来どんな職業に就きたい
の?」「学校に対する要望は?」なーんて事を聞かれて終わり。

 あっ、また生徒手帳の再発行を頼むの忘れた。で、よく聞いたら、盗難届を出すの
に、身分証明書なんかいらないんだそうだ。母ちゃんが、こんなことでもないと僕が
生徒手帳の再発行手続きをやらないからと、毎日僕の尻をたたいていたんだとさ。
そして、僕の自転車がないので、もう一台の自転車に乗りたいのだが、タイヤはパン
クしてるし、カギも壊れているからと、今日おばあちゃんが、自転車屋さんに持ってい
ってくれて、修理してくれた。4,000円もかかったそうだ。もう、これからは絶対カギを
かけ忘れるのだけはやめようと思った。

   2003.10. 9(木)

 今日は10月9日。進路指導部の先生が作成した「平成16年度大学入試・準備スケ
ジュール」によれば、今日がセンター試験まであと100日なのだそうだ。来年1月17,
18日がセンター試験だから、そんなもんか。あと3ヶ月と10日ほどになった。

 今日は中間試験の2日目。そろそろ本気入れて頑張らないと、と思うのだが、集中
力がなかなか持たない。もうこんなこと言ってられないのだが・・・。センター試験の
願書提出締切は17日なのだが、やはりこういうものは縁起を担いで、「大安吉日」に
出すんだそうで、明日(10日)が「大安」(吉日かどうかはわからないが)なので、この
日に現役生の分はまとめて、郵送するのだそうだ。

 センター試験の願書を出したということは、そろそろ受験する大学も決めなくちゃい
けないということ。国公立はK大学工学部建築学科を前期・後期とも受験するつもり
だ。もちろん、私立大学には行くつもりはないが、担任の先生が国公立大学の二次
試験を受ける前に力試し&試験会場の雰囲気に慣れるためにどこか受けなさい、と
言う。

 で、結局W大学とTR大学を受けることにした。通るわけもないが、一度ぐらい一人
で東京に行って受験してみるのもいいかと思う。両親に話したら、受験するだけで、
いくらかかると思っているのか、と言われてしまった。「まー、その辺は一生に一度の
ことだから、今回だけはお願いします」と頼んだ。とにかく、第一志望のK大に合格す
ることが、今の僕に与えられた至上命題だ。

   2003. 9.21(日)

 運動会が終わって早2週間。まだ、2週間しか経っていないのに、学校では何事も
なかったかのように日常が過ぎている。もちろん僕にとっても、運動会は過去のもの
になってしまっているが、僕はこの運動会で一時応援団に入っていたこともあり、援
団のTシャツ2枚と、企画のTシャツ1枚の計3枚が手元に残った。たまに家で着るこ
ともあり、それをたたんでいた母ちゃんが、僕に「援団のTシャツを記念に撮っておく
から、持ってきなさい」と言う。嫌な予感がしたが、やっぱり当たっていた。と、いうこ
とで、それらのTシャツの写真を下に載せます。

援団Tシャツ(黒) 援団Tシャツ(白) 企画Tシャツ(白)
援団Tシャツ(黒)の表 援団Tシャツ(白)の表 企画Tシャツの表 企画Tシャツの左袖に書かれた「契」の文字

 企画Tシャツ
 の左袖に書
 かれた「契」
 の文字
援団Tシャツ(黒)の裏 援団Tシャツ(白)の裏 企画Tシャツの裏

   2003. 9.17(水)

 今日は、例年8/5に行われている「筑後川花火大会」がひと月半も遅れて開催され
た。塾もこのせいで中止になった。(西鉄の駅の界隈に変な人たちが増えるからだと
いう理由らしいが、本当は先生が花火を見たかったからというのが、本当の理由だっ
たりして・・・)で、勉強する場所を奪われた僕は、初めて「えーるピア久留米」で閉館
時間まで勉強して帰ってきたら、うちの強力女性軍(母ちゃんと妹)がいなかった。

 しばらくして、11時頃帰ってきた2人。「『オペラ座の怪人』よかったよねー。前から
2列目だったものね。シャンデリアが落ちてくるとき、すごい迫力だったよね」などと、
話している。「えー、今日花火大会に行ってきたんじゃないの?」

 「なんで、花火大会にお母さんと行かなきゃならないのよ」と妹。いつもこうなのだ、
僕の妹は。最近の妹は「するみ」度がますます過激になっている、「するみ」って何か
って?今週の月曜日(9/15)に終わった「月九」ドラマ「僕だけのマドンナ」のヒロイン
ハセキョン(長谷川京子)演じる「するみ」のことだ。夏のクール(7月〜9月)のドラマで
唯一僕が見ていた連続ドラマで、わがまま放題、相手の恭一(キョン)役の滝沢秀明
を翻弄し続ける謎の女性だ。

 僕の妹はいつのころからか、僕に命令をするようになったし、僕が勉強をしていると
いろいろと話しかけて邪魔をする。相手をしないと、機嫌が悪くなる。だけど、やっぱり
憎めない。だから、こんな妹を、僕は「するみ」と呼ぶことにした。妹も思い当たるフシ
があるのか、敢えて否定はしない。その代わり、僕のことも「キョン」と呼ぶ。例えば、
「キョン、麦茶持ってきて」とか、またまた命令する。

 こんな妹と、身勝手な母ちゃんと、口うるさいばあちゃんとに囲まれてかわいそうな
「キョン」だ。いやいや、間違えた。もっとしっかりしなければ、僕は我が家の女性軍か
らこきつかわれるだけになりそうな気がする。

   2003. 9. 7(日)

 先月の終わりに、心ならずも「心臓がちょっと心配だから激しい運動はやめなさい」と
聖マリア病院の医師からドクターストップがかかった。運動会まであと10日と迫ったこ
の時期に、援団を辞めなくてはならなくなったこと、とても残念だったが、くよくよしても
仕方がないので、また企画にもどって、パネルのフロントに全力を上げるとともに、パネ
ル構成の一員として、短期間でのパネルの練習もやった。そして迎えた運動会当日。
家でパネルの練習
(顔が見えてる不思議映像)

家でパネルの練習
明日に備えてパネルの練習


明日に備えてパネルの練習
紅組特有のスタンド型パネル
4つのブロックの中で一番多い5つの色を使う紅組のパネル
赤 黒 青
黄 白

 9月に入ってからの、異常気象に 
よる猛暑で、福岡県内の高校で、
熱中症で倒れる生徒が続出してい
た。明善高校もぎりぎりのところだ
ったが、なんとか無事開催までこぎ
つけた。

 今日も朝から暑い一日だった。8
時からの入場行進にそなえて、7時  .
15分までに学校にでかけた。

 今日これから行われるひとつひと
「美女と野獣」、写真の相手は中嶋萌子さん
つのことが、僕にとって、高校での思い出として心に残っていくだろう。そんなことを考
えると入場行進から感慨深いものとなる。

 僕は予定では、「フォークダンス」と「棒倒し」、「騎馬戦」に出る予定になっていたの
だが、今日急に「減数分裂」の競技に出るようになっていた人が出られなくなって、僕
に出るように指示が下った。僕はいつだってそうなのだ。援団もそうだったし。まー、こ
れくらいの競技なら大丈夫だろう、と思ったが、いきなり300bを走らなければならなく
て、とてもきつかった。競技の後、足が痛くて歩くのに不自由した。

 フォークダンスは僕に彼女がいないことをかわいそうにと思って、Cさんが、相手をか
って出てくれた。衣装も用意してくれた。思えば彼女とは明善高校に入学する前の塾
の時からの長いつきあいになる。ほんとにお世話になりました。ちなみに、上の写真は
相手をしてくれたCさんではなく、中嶋さんである。母ちゃんがこの写真を見て、「美女
と野獣」やんね、と言う。まー、何とでも言ってくれー。

 棒倒しと騎馬戦。僕は中学生の時から、ずっと馬や棒を支える役ばかりだった。今回
僕たち紅組は両方ともぶっちぎりの優勝。紅は体力系の競技は強いのだ。(その代わ
りセンスのいる競技はダメだったけどね)
応援団長の森永祐介君             . 副考案長の藤川君
応援団長の森永祐介君 副考案長の藤川君
 そして、最後の運命の時が来た。応援合戦は4番目、しんがりだ。この順番が吉と出
るか、凶と出るか。青・白・黄の順で応援合戦が始まり、いよいよ僕たちの番だ。団長
の森永君(左の写真)、副団長の藤吉君・金納君。3年間紅組にすべてを捧げてきた、
本物の紅組健児だ。彼らの指揮の下、紅組291人が心をひとつにして、応援合戦を成
し遂げた。

 しかし、結果は4位。その結果を聞いたときに、みんなあふれる涙が止まらない。団
長を始め、援団のみんなは、その場にうずくまって立ち上がることすらできない。結局
僕たちは、3年間の運動会で、一度も優勝の美酒(お酒は飲みませんが)に酔うことは
できなかった。しかし、競技による総合優勝は紅組だった。それもみんなの頑張りの
成果だと思う。来年こそは、絶対来年こそは優勝してくれよ、と後輩達に託して、僕た
ち3年生の夏は終わった。あー、疲れた。明日と明後日はゆっくりやすみまーす。

   2003. 8.27(水)

 とりあえず、一晩の入院ののち、今朝の検査結果で、それほど悪い値が出ていなかっ
たので、退院許可が出たものの、今日は安静にしておいて、明日外来に来るように、と
の指示。医師も応援団などの過激な運動は止めた方がいいと言うし、僕自身、体調に
自信が持てないので、やめようと思う。そのことを団長や幹部に伝えるために、学校に
行くことにした。

   2003. 8.26(火)

 後期課外が始まった頃から、急に暑くなって、応援団の練習はいっそうつらいものにな
ってきた。吐き気がしたり、胸が苦しくなったりして近所のお医者さんに通いながら、何と
か頑張って、練習に参加していたが、今日も胸が苦しくて、学校まで母ちゃんに迎えに
きてもらって、そのまま聖マリア病院に行った。心電図やレントゲン、血液検査をして、待
っていたら、医師が「血液検査の結果があまりよくないので、今晩一晩、経過観察の為
入院してください」と言う。

 母ちゃんが「汗をかいていてくさいので、うちに連れて帰って、明日連れてきてはダメ
ですか」と聞くが、「何かあったらまずいので、今晩は帰らないで」と言われた。「えー、こ
れからどうなるの。応援団は?それより運動会にも出られない、なんてことにはならない
よねー」と思ったが、こうなりゃーまな板の上の鯉だ。とにかく、明日の検査の結果待ち
ということで、今夜は僕は「聖マリア病院」ベッドの上で〜す。


   2003. 8.15(金)

 課外も塾もお休みになって、毎日だれた生活をしている。(そんなせいで、左肩に発疹が
できたのかも)しかし、今日はお盆だ。今日ぐらいはお墓参りをしなさい、と母ちゃんがまた
僕をたたき起こす。日・月が対外模試で、学校に行かなければならないので、父方の従姉
である里香姉ちゃんが土曜日に東京から帰ってくるそうだが、日曜日には行けそうにない
ので、今日行くことにした。

 お父さんの実家に行く前に、昼食を「ジョイフル柳川店」で食べた。生徒会で一緒に役員
をしていた、Hさんの家の隣だった。いいなー、食べたいときに「ジョイフル」のメニューが食
べられて・・・

 蒲池のおばあちゃんちに行ったら、眠くて眠くて、おばあちゃんとはほとんどしゃべらない
まま、帰ってきた。車の中でも寝ていたので、三潴の円福寺(おじいちゃんの骨を収めてい
るお寺)の納骨堂にも寄らなかった。最後に上津町の極楽寺に行った。ここは、おばあち
ゃんの両親(ぼくのひいじいちゃん・ひいばあちゃん)が眠るお墓があるところだ。
お墓に水をかける僕   何基ぐらいお墓が並んでいるのだろう。
 その中でも、入り口に最も近いところに、
 ひいじいちゃん達のお墓はある。お墓の
 横に、このお墓に眠る人の名前が書いて
 あった。生きていた時の名前は分かるの
 だが、長たらしい名前がわからなくて、母
 に聞いたら、「それはあの世で使う戒名
 よ」と言われた。

  また母にバカにされてしまった。だけど
 心を込めてお水をかけたからね。

   2003. 8.13(水)

 一昨日の援団の練習の時から、左の肩が痛かった。筋肉痛かな、とも思ったが、そうで
もなさそうである。12日の夜に母ちゃんに見てもらったら「何、これー。アセモみたいやん」
と言う。白い水泡が無数に出来ているらしい。さわったら痛い。どうやら、疲れと不規則な
食生活からきてるらしい。

 で、今日皮膚科に行くことになって、おばあちゃんが津福のM皮膚科に電話で開いてい
るか聞いてくれた。午前中だけということで、急いで言ってきた。先生は何が原因なのか、
どうすればよくなるのかもはっきり言ってくれない。とにかくお薬を飲んで、患部に薬を1日
2回付け替えなさい、と言われる。だけど、このブツブツ、早く良くなってくれないと、援団の
練習にも差し障るんだけどなー。

   2003. 8. 8(金)

 今日は台風接近の為、昨日の塾の帰りに「明日は塾はお休みだから」と言われていた。
ラッキー、と思って、朝ゆっくり寝ていたら、またもや鬼母ちゃんが僕をたたき起こした。
「ちょっとお母さんに付いてきて」と言う。何でも、パソコン教室の受講生の人がYahoo!BB
を申し込んで、今日モデムが届いたので、その接続をやってあげると言ったものの、自信
がなくて、僕にさせようという腹らしい。

 何たることだ、自分で引き受けておいて。だけど、僕も食べ物に弱いからなー。「あんた
の好きな物なんでも食べさせてあげる」なんて言われて、ほいほいと付いていってしまっ
た。まず、セブン-イレブンで朝飯代わりのパンを買って、車の中で食べる。それから、母
ちゃんがおみやげを買ってきた、柘植さんの会社に立ち寄る。久しぶりだ。柘植さんとちょ
っと話して、LAN接続のことも聞いて、ベストでLANケーブルを買う。

 母ちゃんが先方に電話していたら、僕たちがちょうど着く時間に合わせて、駐車場に降
りて来てくれていた。なかなか紳士的なおじいちゃんだ。だけど、僕はこのおじいちゃんの
足の筋肉を見逃さなかった。あとで母ちゃんに聞いたら、このおじいちゃん、76才なのだそ
うだが、陸上競技の公式審判員の資格を持っているそうだ。どうりで・・・

 高齢者専用マンションなので、全館全室バリアフリーになっている。建築士を目指す僕
にとっては、ちょっと参考になる建物だ。このおじいちゃんと、半身不随で寝たきりの奥さ
んとの二人暮らしだそうだ。今日は、奥さんがデイケアに出かけておられたので、ベッドま
わりを扱うことができた。

 電話機とパソコンが結構離れているので10メートルのLANケーブルでつないで、接続完
了。BBフォンもつながったし、インターネットもできるようになったのだが、どうも開くのに
時間がかかりすぎる。これじゃ、メールの設定がなかなかできやしない。Yahoo!に問合せ
たら、台風の影響じゃないかっていう。そんなバカな。だけど、とりあえず、今日はこのまま
で帰ってきた。また明日、出直すことにして。明日のお昼は何を食べさせてもらおうかな。

   2003. 8. 6(水)

 子供は勉強や運動会の準備で忙しいっていうのに、うちの母ちゃんときたら、毎年の恒
例行事である、さだまさしの長崎でのコンサートに行ってしまった。僕も3回ほど行った経
験があるが、コンサートが終わるのが、10時近いから、JRで行くと、どう頑張ってもその
日のうちには帰って来られない。というわけで、長崎に一泊ということになる。まー、うる
さい母ちゃんが一晩だけでもいないってことは、僕にとって非常にラッキーなことである。

 僕は、今年の運動会は企画の中のフロント(パネルの修理)をやるつもりだった。実際、
その仕事に取りかかったばかりだった。ところが、援団(応援団のことをこう呼ぶ)の主要
メンバーが、「援団の人数が足りない」とか「今のメンバーではなかなかいいものができ
ないから、力を貸してくれ」とか言って、僕に入団を迫ってきた。1年生の時から、同じ紅
組で一緒にやってきたメンバーから、こんなふうに頼まれれば、男として断るわけにもい
かない。

 僕はこの夏休みで今までの勉強の遅れを取り戻そうと計画していた。だから、企画委
員なら、それほどの負担もないだろうと、引き受けたのに、こともあろうに「援団」とは。
母ちゃんが角を生やしている姿が目に浮かんだ。「勉強をちゃんとやれるなら、援団でも
なんでもやっていいわよ」と皮肉たっぷりに言われるのは目に見えている。それでも、こ
こで引き下がっちゃ男じゃない、と思った。それで、家族には内緒で援団に入ることを了
承して、遅ればせながらの練習が始まった。3年生のみんなは1年生の時からやってい
る幹部を始め、ほとんどが、援団に入ることを早くから表明していたヤツばかりなので、そ
の時点で、僕はものすごく出遅れていることになる。

 とにかく、援舞だけは覚えないとどうしようもないので、太鼓の音をドラムに変えてMD
に録音してもらって家でも練習することにした。ところが、やはり隠し事はできないもの
だ。妹の麻子には、学校でばれてしまったし、母ちゃんも同じ紅組の企画をしているM君
からばれてしまった。やっぱり、僕の想像通りのことをイヤミったらしく言われた。僕だっ
て、大学は希望のところに現役で合格したいから、この夏休みは勉強を第一に考えてい
たさ。だけど、高校生活最後の運動会で、僕を見込んで援団に入ってくれと頼まれたら、
この3年間の友情は、青春はどうなる。

 まだ、たった数日しか学校での練習をやってないから、他の団員に比べたらまったく下
手さ。だけど、絶対後悔しないように勉強も頑張って、9月7日の運動会当日に「よく頑張
ったわね」と言わせてやるから。だから、この夏休みは多めに見てちょうだい。

   2003. 7.30(水)

 夏休み前半の課外も終わりに近づいてきた。だけど、これでは終わらないのが明善の
明善たるところで、8/1から8/5までリサーチパークで、勉強会が始まる。3年生400人の
うち、約320人の参加の予定だ。その320人が同じ部屋で、朝9時〜夕方5時までの延々
7時間(お昼休み1時間除く)の合同勉強会だ。

 昨年は4日間だった。今年はもう1日増えて5日間にパワーアップだ。まー、勉強は学
校でするよりも涼しい部屋でできるから、「ラッキー」だけれども、リサーチパークまで自
転車で行かなければならないのがつらい。だから、遠くから通っている生徒が多い、理
数科や総合文科のクラスの人は、この勉強会には参加しない人が多い。僕だって通う
のがいやなんだから、当然だよね。

 それで、雨なんか降った日には悲惨だ。昨年も帰りに雨が降ったので、母ちゃんに迎
えに来て、と電話したら、一番混んでいる時間で、うちから1時間もかかった上に、リサ
ーチパークに着いたときには雨が止んで、腹一杯イヤミを言われてしまった。来年から
は、蒸し風呂“明善”にも空調設備(クーラー)が設置されるそうだ。それに伴い、1年生の
勉強合宿や2,3年生の勉強会もなくなることが決定している。勉強会がなくなるのは当
然としても、1年生の勉強合宿は、結構修学旅行のノリで楽しんだ覚えがある。(今頃、
麻子のヤツが、1日10時間の勉強に苦しんでるだろうなー)勉強合宿は、なくしてほしい
ような、そのまま存続させてほしいような、そんな気持ちである。

 昨日から麻子が勉強合宿でいないので、母ちゃんの注目が僕一人に集まってくる。一
挙手一投足にまでいちいち注意をしてくる。あー、うざい。そして、毎日のように「ねー、新
入生歓迎行事のときに流した、部活紹介のDVDはまだダビングしてもらえないのー」と
聞いてくる。僕だって、毎日I君に頼んでいるんだから、毎日毎日言うなよー。卒業までに
は、ちゃんとダビングしてくれるって。

   2003. 7.22(火)

 前日から母ちゃんのご機嫌が悪かった。何か嫌な予感はしていた。

 毎朝、僕はなかなか自分で起きられない。何度も何度も起こしてもらってようやく起き
て、ばたばたと登校している。それなのに、今日はだれも起こしてくれなかった。気が付
いたら、9時半になっていた。そして、家の中だれもいない。おばあちゃんは旅行に行っ
ているし、父ちゃんと麻子は仕事と学校だから、これもいないのはわかる。だけど、いる
はずの母ちゃんの姿が見えない。それで、メールを入れたら、「生協を取りに行ってい
る」ということだった。しばらくして戻ってきた母ちゃんは、僕のパンツいっちょの姿を見て
驚いたねー。「なんで、あんたここにおると?」

 「だって、起こしてくれんかったやんね」。そう言えば昨夜のご機嫌斜めがそのまま尾を
引いていたのか、みんなが出て行く頃、母ちゃんはふて寝をしていて、僕も出て行ったと
思っていたらしい。なんという親だ。それにしても、母ちゃんが起こしてくれないんなら、
他のだれかが起こしてくれても良さそうなものを、みんな冷たいんだから。

 そう言ったら、母ちゃんが「あんた、来年から一人暮らしするとやろー。こんなことで一
人暮らしができるとかねー」と言われてしまった、「至極、ごもっともであります」。それで
遅刻したことを担任の楠田先生に伝えてもらおうと、高校に電話したら事務室の人が出
て、「わかりました」と言われた。その声が何となく「ああ、生徒会長の藤木君ね」と言わ
れているような気がして、また事務室で忘れ物の名人が、今度は「寝坊の名人」になっ
ているだろうなー、と気が重くなった。

   2003. 7.18(金)

 今日は一学期の終業式だった。といっても、例のごとく課外も授業もあって、なんら普
通の日と変わらない。今日まで、三者面談があるので、授業は午前中で終わって、何も
ない人はそれで帰れるんだが、僕は何の因果か、紅組企画のフロントをやることになっ
た。さっそく、パネルの壊れたものの修理に取りかかる。

 パネル長の伊藤さん(もちろん女子ね)から、買い物を頼まれた。壊れたパネルを補修
するための蝶番とねじだ。それなのに、伊藤さんが「お金がないから“藤木スマイル”で
まけてもらってね」などという。ドリームスエフエムの本社の前にある二葉金物店に行っ
て、伊藤さんから言われたとおりに、精いっぱい愛きょう振りまいて(自分でやってて気
持ち悪かった)まけてもらった。これからも、こんなことが続くんだろうなー。

   2003. 7.16(水)

 三年生になって初めての三者面談。というより、今まで2年間は濱田先生だったので
楠田先生との面談自体が初めてだった。例のごとく、うちの母ちゃんのいいつけで、初
日の一番を取って、化学講義室での面談。結構涼しかったなー。

 いろんな資料をそろえてあって、僕の希望大学と今の成績を照らし合わせながら、話
が進む。まー、今の成績じゃ、どう逆立ちしても希望の大学は無理、ということはわかる
。だけど、それであきらめる必要もない、と言われた。これから半年、計画的に勉強して
いけば、合格も可能だと、言われた。ただ、自分でもう少し、大学の情報を集めなさい、
とも言われた。「そりゃ、そうだなー」

 さあ、来週からは運動会の準備が始まる。僕は何もしない予定だったのに、結局、企
画のフロント(パネルの修理)の仕事が回ってきた。この夏休みも忙しくなりそうだ。

   2003. 7. 9(水) 

 今日は、1学期のクラスマッチだった。3年生にとっては、今回が最後のクラスマッ
チとなる。そして、なんたることか、生徒会長の中道が選手宣誓の大役を僕に振って
きた。結局ヤツにとっては、僕が一番頼みやすい3年生だったからだろう。また、言う
言葉を考えなければならないじゃないか。

 さて、今日は梅雨の合間を縫って、何とか天気ももってくれた。こんな日のほうが
蒸すし、じめじめして気温も高いのだ。そして今回の僕たちの種目はサッカー。1クラ
ス1チームなので、予選リーグでの2試合は、それぞれ交代で全員が出るようになっ
ている。結局予選リーグは1勝1敗で、決勝トーナメントには進めなかった。女子は、
バレーボールで、予選リークでは敗退したのに、敗者復活戦で勝ち進んで、結構い
いところまで行った。

 こんな成績じゃー、先生からのご褒美は望めないだろうなー、と思っていたら、なん
と担任の楠田先生から、クラス全員にハーゲンダーツのカップ入りアイスをもらった。
1個250円もするやつだ。期待していなかっただけに、もらったときの喜びは大きい。
先生、ありがとうございます。

 クラスマッチでとっても疲れていたのに、今日も塾に行かなければならなかった。今
日は、さすがに来ている生徒は少なかった。家に帰ったら家族から「真っ黒やんねー」
と言われてしまった。そりゃー仕方ないさ。一日中外にいたんだもん。もうきつくて、喉
が乾いて、麦茶をいっぱい飲んでしまった。今日は早寝(と言っても、もう12時だけど)
します。

   2003. 6.24(火)

 今日は、新執行部の認証式の日だった。思えば約8ヶ月前には僕がこの場所にい
たのだと思うと、新会長の中道に「頑張れよ」と心の中でつぶやかずにはいられなか
った。新執行委員の紹介もあった。その中には僕がお願いして委員を受けてもらった
人もいる。そして、よーく見ると妹の麻子がいる。こいつも、僕の真似ばかりしている。
僕も入学してすぐ、先輩に声かけられて、執行委員になった。まー、妹よ、中道の力に
なってやってくれ。

 そして、前回の集会で時間が足りなかったために、言えなかった僕の退任挨拶を言
う時がやってきた。それなのにありえないアクシデントが発生した。福岡で起こった一
家四人殺人事件の被害者の車が、明善高校グラウンドの近くにあるBSタイヤ久留米
工場の駐車場で見つかったために、マスコミ各社のヘリコプターが上空を飛びだした
のだ。窓を開けているのでヘリコプターの音がもろに聞こえてくる。とてもうるさい。

 そんな時に、ちょうど僕の挨拶の時間がやってきた。うるさいからといって拡声器を
使うわけにもいかないし、止めるわけにもいかない。後で麻子に聞いたら「ほとんど
聞こえなかったよ」だって。結局、僕の退任挨拶は全校生徒にほとんど聞こえないま
まに終わってしまったようだ。何とも後味の悪い退任式だった。 

   2003. 6. 1(日)

 とうとう今日という日がやってきた。今日は高体連バドミントンインターハイ福岡県大
会の日である。中学生の時から5年間続けてきたバドミントンの、とりあえず最後の日
である。と断定するのもおかしいが、どう考えても県大会を突破して全国大会(インター
ハイ)に出られるはずがない。初戦突破も難しい。

 昨夜、団体戦の試合を久留米大学「みいアリーナ」で観戦した後、東国分小学校で
練習して帰宅した。母ちゃんから「明日の試合は何時からあるの?」と聞かれたので、
「試合見に来る気ー」と言ったら、「もちろん、あんたの最後の試合やんね」と言う。母
ちゃんの性格からして、絶対見に来ると思ったので、「目立たないところから見てよね」
と言った。「ところで相手はどこなの?」「えーと“くつて”高校」。ここで母ちゃんだけで
なく、父ちゃんからまでも大爆笑されてしまった。

 「それは鞍手(くらて)高校だろうが」。「『鞍』と『靴』を間違えとろーがー」。そう言えば
団体戦を見にきていた由衛さんからも同じ事を言われてしまったのに、それを忘れて、
また家でバカにされてしまった僕。「鞍手高校ってどこにあるか知っとるね?」と母ちゃ
んが言うので「筑豊地区だろー、山野がそう言いよった」と言ったら、横から麻子が、
「野球のNHK杯で優勝したところたい。県立高校なのによくやるよねー」と言う。なんで
そんなこと麻子が知ってるの。
県大会初戦、2年生の山野とのダブルス   久留米大学の「みいアリーナ」って
 とってもきれいな体育館だ。3階建
 てでバドミントンコートは10面も取れ
 る。明るくて天井も高い。こんなとこ
 ろで毎日練習ができたらいいだろう
 なー。

  ここで、男子5面、女子5面使って
 同時進行で試合が行われた。僕と
 2年生の山野のダブルスは鞍手高
 校チームと対戦。

← クリックすると試合の模様が・・
 そんなに強いチームでもなさそうだったが、結果は2−0で完敗。これで本当に僕の
高校におけるバトミントン生活のピリオドを打つときがやってきた。今でこそ、1年2年は
経験者が入部してくれて、それなりのチームになってきたが、僕が入部したときは、経
験者は僕と中尾くん(昨年退部した)の2人だけ。これでは将来団体戦に出られないから
と、必死で部員勧誘をして、山下くんと村田くんが入部してくれた。2人とも熱心に練習に
励んでくれたおかげで、今年の地区大会はあと一歩で団体戦も県大会出場というところ
まできた。2人ともありがとう。そして、僕が生徒会長になったために他の部員にたくさん
迷惑をかけたことと思うが、それもみんなのおかげでなんとか終えることができそうだ。
そして、なんと今度は2年生の中道が生徒会長になった。大変だけど、やりがいはある
ぞ。頑張ってくれ。

 じゃー、これから僕は受験モードに突入します。

   2003. 5.16(金)

 うちの母ちゃんはああ見えて、ぎっくり腰の持病がある。最近はそれが頻繁に出て、け
っこう僕たちも迷惑している。そして、とうとうこの連休明けに入院してしまった。と言って
も心配するほどの病状じゃないけどね。だって、毎日僕に携帯でいろいろ指示してくる。
「病気で入院してるんだから、じっとしていろよー」と言いたくなる。

 そして、挙げ句に仕事に使うからと、パソコンを持ち込んでインターネットまでやり出し
た。たいした仕事でもないのに・・・。それよりも母ちゃんの心配の種は、5/16(金)に予
定している、僕が1年生の時の保護者懇親会のことらしい。毎日「どれくらい出席者が出
ているか」を聞いてくる。まー、いつものメンバーだね、と返信してやった。

 ところが、今日退院してくるという。「もう痛みが取れたから」だとか「仕事がたまってい
るから」だとか、理由をつけているが、ぼくにはどう考えても今日の懇親会に出席するた
めといか思えない。もっとも、退院してなくても、外泊して懇親会には出席する予定だっ
たらしいけど。なーんかはしゃぎすぎてるよ。もうちょっと自重してください。

   2003. 5. 3(土), 4(日)

 今日と明日はインターハイの地区予選大会の日だった。今回の試合で負ければ、高
校におけるバドミントンの最後の日となるはずだった。中学校から始めたバドミントン
も5年を越え、できることなら県大会出場という、有終の美を飾りたかった。

 今回の試合に先立ち、いつも我が家のパソコンのメンテナンスをやって下さっている
柘植さんが、取引先の大塚製薬の「ポカリスエット」を差し入れしましょう、と言ってくだ
さった。15リットル用のジョグタンクと10リットル用の粉末10個がセットになっているもの
を。で、母ちゃんが柘植さんに「甘えついでに、男女は試合会場が別なので、できれば
ジョグタンクを2ついただければー」などと言ったものだから、柘植さんは気を使って、わ
ざわざ2セットを頼んでくださった。結局タンク2つに10リットル用粉末が20袋・・・なんと
200リットル分だ。それを試合前日の2日に、母ちゃんが痛い腰を押さえながら、学校に
持ってきた。そして、顧問の執行先生の車に乗せて、明日の試合に持ってきてもらうと
いう手はずをとった。

 一日目は団体戦。3年生が僕と山下、村田。2年生が山野。そして1年生がエースの
山口という最高の布陣で臨んだ。しかし、それでもベスト4に残れず、団体での県大会
出場の夢は破れた。(これは、2日目に決定した)

 そして、残るは個人戦。この一年間一緒に組んできた2年生の山野とのダブルス。県
大会出場の確率は半々だった。1回戦はシードで、2回戦は不戦勝、3回戦は中学校で
一緒にやっていた、Y高校のSクンと1つ後輩のHクンのコンビ。このコンビに勝って、運
よく1試合のみで、ベスト4進出、念願の県大会出場を決めた。もう、頭の中は真っ白、
足は疲労骨折を起こしそうになっている。それでも、心地よい疲労感が体の中に残って
いる。さあ、次なる目標は6月1日の県大会初戦突破だ。まー、無理だとは思うが、今年
の県大会は会場が南部地区で、久留米大学の体育館である。部員はほとんど応援に
来てくれるという。無様な負け方だけはしたくない。潔い散り方を練習して大会に臨もう。

   2003. 4.25(金)

 また、また、また、母ちゃんに借りを作ってしまった。まず、一昨日は水曜日だから、例
のように、部活が終わった後、梅満の体育館にバドミントンをしに行こうと思っていた。
ところが、部活が終わってから外に出てみたら、かなり雨が降っている。行こうか行くま
いか迷ったが、結局止めることにした。

 ところが、傘を持っていないことに気づいた。じゃーなくて、朝から傘はなかったのだ
けれど。 この前の試合の時に、荒木駅に傘を置いてて盗られてしまっていたのだ。す
ぐ買ってもらえばよかったのだが、そのままになっていた。今朝は雨が降っていなかっ
たから、自転車で登校してきた。で、結局ひどい雨になった。

 学校からJR久留米駅までは歩いて5分、荒木駅からうちまでも歩いて5分という、交
通至便な場所にある。ただ、それは晴れているか、雨の時でも傘がある、という前提
条件付だ。ところが、一昨日は傘がなかった(井上陽水の世界だ)。いくら5分の距離で
も僕のひ弱な(-_-メ)体は、あの土砂降りの雨には耐えられない。で、例のごとくマミー
へ電話ということになる。返事は分かっていた。だけど、きっとかわいい息子である僕
を迎えに来てくれると信じて、電話の向かうに平身低頭してお願いした。

 目一杯悪態突かれたが、学校まで迎えに来てもらった。迎えに来てもらえばこっちの
ものさ。その代わり、茶碗の後片付けとお米仕込みという条件付だったけどね。

 前日の余韻がぬけなかったのか、またまたやってしまった。夕方雨が降っていなかっ
たので、西鉄久留米の近くにある塾まで自転車で行った。ところが、塾が終わった頃
には、どしゃぶりの雨。こんな時は、自転車を置いて、バスとJRで帰るのが普通だろ
う。だけど、我が家には、僕の自転車が乗るようなワゴン車がある。おばあちゃんの車
だ。

 時間は午後10時ちょっと前だった。おばあちゃんは当然寝ているだろうし、お父さん
はお酒を飲んでいるだろうが、もうひとり女神様がいる。恐る恐る電話をかけた。母ち
ゃんも、そういうシチュエーションは想像していたらしく、とぼけてくる。そして本題を切り
だした僕に「バカ者ー」と目一杯罵られてしまったが、ガマンガマン。「もう、お風呂に
入って寝ようかと思ってた」などとのたまう。「うそつけ、毎晩1時まで起きてるくせに」。

 で、前日に続きまた迎えに来てもらった。僕も甘えてるけど、母ちゃんもかなり親ば
かだからなー。

 そして、極めつけの今日。先週末の試合以降、練習と塾とでかなり疲れていた。朝も
なかなか起きられない。今日は、朝課外に遅刻しそうだった。で、よく忘れそうになる
弁当を、今日はちゃんと袋に入れて、ちゃぶ台までは持ってきていた。それなのに、ま
た弁当をそのまま置いてきてしまった。あーあ、3連発だー。

 今日は、母ちゃんが役員会で学校に来るけれど、昼過ぎになるから、塾に行くときの
晩ご飯にしなさい、と行って持ってきてくれた。まー、これは僕がお願いしたんじゃない
からねー。ちょっと、生活態度を改めなくちゃとは思いつつ、それができないズボラな
僕です。

   2003. 4.20(日)

 昨日、今日と山門高校で高体連の試合だった。毎年恒例の事なのだが、1,2年生
が、引退する3年生に、「ミニ千羽鶴」と「ミサンガ」を作って渡すことになっている。来月
も試合があるから、まだ引退じゃないんだけど、これをもらうと「頑張るぞー」という気持
ちになってくる。その写真を下に載せておきます。後輩10人で、それぞれ10個を作って
いる。大変だっただろうなー。ありがとう、後輩達よ。
ミニ千羽鶴          【試合結果の報告】

  今日は、高体連のバドミントン九州大会筑後地区
 予選だった。今回はシングルスでの出場。ベスト4
 までが、県大会に出場できる。まー、県大会は無理
 だろうな、と思いつつ試合に臨んだが、案の定ダメ
 で、結果はベスト16。

  来月のダブルス(この大会はインタハイ、つまり全国
 大会の予選)に備えて、僕たちを破ったチームの試合
 を見ていた。後輩達は早く返して、食事をしているよう
 に言った。で、試合を見終わって、後輩に連絡を取っ
 たら、もう終わりかけているという。残念だったが、後
 輩のところへは行かず、まっすぐうちへ帰った、とさ。 
正確には百羽鶴ですね

   2003. 4.16(水)

 月曜日と今日の2日に渡って、新入生への(新制)校歌と応援歌(白旆の歌)の指導をし
た。僕が1年生の時は、応援団のメンバーがとっても恐かったのだが、自分たちがその
立場になって、大声を出して怒鳴ることになろうとは、思ってもみなかったよ。だけど、
僕たちが1年生の頃に比べたら、ずっと優しく教えているつもりだけれど、それでも泣き
出す子達がいて、なーんか後味がわるかったなー。

 だけど、これは先輩達から受け継がれている伝統行事なわけで、泣いたからと言って
止めるわけにはいかない。まー、そうやって1年生も成長していくわけだから。
明善床屋の外観   
  ところで、1年生に渡す学校紹介に載せるために、
 明善名物の床屋さんを写真に撮った。僕は1年生の
 頃からずーっとお世話になっている床屋さんだ。

  おじいさんの名前は溝上さんと言って、お年は70才
 だそうだ。今63才の僕のおばあちゃんが明善に通っ
 ていた頃(46,7年前)から、すでにここで床屋をやっ
 ているそうなので、そのくらいの年齢になるんじゃな
 いかな。

  以前は、この床屋の二階が新聞部の部室だった
 そうだけど、今は階段が腐って危険なので、使わな
 いようになったらしい。
 
  ここの床屋を利用している人は、僕を含めて数人ら
しい。今年久留米高校の校長になられた倉鍵総括も学生時代からここを利用されて
いたと聞く。僕は、明善高校の半世紀を見つめてきたこのおじいさんから、昔の明善
高校の話を聞くのが好きなのに、あっという間に散髪は終わってしまう。それと、料金
が安いのも魅力だね。僕のように丸刈りで800円。母ちゃんから、1,000円もらって、
200円は僕のお小遣いさ。
明善床屋の内部 明善床屋の店主、溝上さん
床屋の内部(年代物の鏡や椅子がレトロ) このお店を一人で守り続ける溝上さん

   2003. 4. 8(火)

 今日は麻子の入学式。そして僕はその式で新入生歓迎挨拶を述べなければならない。
ひと月前の卒業式で述べた送辞ほどではないが、この歓迎挨拶も原稿用紙3枚半はあ
る。それを麻子に清書してもらって、今朝学校に出かける前に、母ちゃんの前で読む練習
をしたが、何度も読み間違って、「こんなんで、ちゃんと読めるのー」とあきれられてしまっ
た。「何を言うか。本番に強い崇弘さまを知らないな」と心の中で思ったが、ほーんと、母
ちゃんの前で一度でも練習しといてよかったよ。間違ったまま読んでしまうところだった。
この練習のおかげで、本番はばっちりさ。ひとことも間違わず、ゆっくりと大きな声で挨
拶を述べたさ。
   平成15年度 第55回 明善高等学校入学式 新入生歓迎の挨拶文
マイクのスイッチを入れて準備完了 なかなかいい調子
マイクのスイッチを入れて、準備完了 なかなかいい調子
最後の結びは顔を上げて 挨拶文を壇上に持っていく
「私達はあなた方の活躍を期待します」と
結んだ
読み終えた挨拶文を壇上に置きにいく
 それが終わったら、今度は生徒会の仕事が待っている。新入生歓迎行事の時に流す、
「入学式が終わった新入生へのインタビュー」をビデオに録らなけれならない。式の一部
始終を録っていた母ちゃんから、ビデオカメラを受け取って、生徒会の他のメンバーと新
入生にインタビューする。

 これも終わって、ようやくバドミントン部員にもどる。新入生への部員勧誘は母ちゃんが
作ってくれたビラを他の部員が配ってくれていた。昼からは、体育館を片付けて、練習を
した。ヒビが入っていた僕のラケットがやっぱり折れてしまってダメになったので、「いでた
スポーツ」に行って新しいのを頼んだ。23,000円もしたよー。
新入生勧誘のビラ1      . 新入生勧誘のビラ2
母ちゃんが作ってくれた「バドミントン部」への勧誘ビラ
(それぞれをクリックすると大きくなります)
買い直した\23,000のラケット   このラケットで確か
 10本目になる。この
 ラケットも\23,000も
 した。高校生の僕に
 は痛い出費だ。


 ←
 「マッスルパワー」の
 ラケットだ。
 
マッスルパワーのラケット

   2003. 4. 7(月)

 いよいよ、最終学年が始まった。いや、もう2年生の3学期は、3年生の0学期と言われ
ているので、実質はもう3年生なのだが、一応けじめとして始業式があり、担任の発表が
あった。母ちゃんは「今度も濱田先生がいいよねー」などと言っていたが、そうはうまくい
かない。で、今度の担任は化学の楠田先生となった。どんな先生か、まだよく把握してい
ない。これから、ぼちぼち楠田先生のエピソードは書いていこうと思う。

 そして、今日新しい校長先生と総括教頭先生も紹介があった。今までの今村校長と倉
鍵総括のイメージが強すぎるので、どうしてもお二人と比較してしまう。あと一年間、いろ
んなところで、接していかなければならない先生方だ。よろしくお願いします。さあ、明日
は、入学式。新入生歓迎挨拶を言い間違えないようにしなくちゃ。

   2003. 4. 6(日)

 今日は、県立体育館でバドミントンの市民大会だった。市民大会は高校生だけでなく、
社会人も出場してくる。いつもペアを組んでいる2年生の山野は今回は用事があるという
ことで、出場できないと言ってきた。で、同じ3年生の村田クンとペアで出ることにした。

 県立体育館の近くにある「青少年科学館」に今日の午前中、皇太子殿下が来られると
いうことで、朝のうちから、警察官の警備がすごかった。まー、僕にはまったく関係のない
ことである。

 前回の大会では、見事優勝をした僕も今回は、決勝トーナメントの初戦で敗退してしま
った。で、負けた者の宿命として、審判をしているところに、物好きの母ちゃんと妹がやっ
てきたらしい(僕はまったく気が付かなかった)。それで、2階席から撮った写真が下のも
のである。ちなみに、女子(公門さんと高井良さん)はDクラスで優勝した。
手前で得点をつけているのが村田くん 審判をしている僕
手前で得点を付けているのが村田くん なんかぼーっとしている僕

 そして、帰宅したら妹の麻子が、明後日の入学式で僕が読む「新入生歓迎挨拶」の清
書をやってくれていた。送辞も清書してもらったし、なんかお礼をしとこー、っと。

麻子が清書してくれた「新入生歓迎挨拶」   お母さんが原稿を書き、妹が
   清書して、僕が読む「新入生
   歓迎の挨拶」。

   送辞に続く、3人合作です。


  『新入生歓迎の挨拶』
         
   クリックすると「挨拶文」を
   読むことができます

   2003. 4. 4(金)

 
今朝、起きたら母ちゃんが、入学式で僕が読む新入生歓迎挨拶の原稿を仕上げてい
てくれた。とても気にかかっていたのだが、これで先生に内容の修正をお願いすること
ができる。ところが、先生方も新年度で忙しいのか、「しもヤン」(国語の下川先生)も三宅
教頭もまったく手を加えることなく、「このままでいいから」と返されてしまった。卒業式の
送辞であれだけ書き直しをされたのに比べたら、何という違いだ(手抜きだー)。

 さあ、今夜これの清書を麻子に頼んで、あとは8日の入学式で間違えないように読む
だけだ。たのんますよ、麻子ちゃん。

 さて、今日は僕の18才の誕生日だ。取り立てて感想もないが、18才は半分大人の仲
間入りである。自動車免許も取れるし、親の承諾があれば、法的に結婚もできる。まー、
どちらも僕にとってはまだまだ先の話だが・・・

 最近、疲れがたまっていて、今日も何となく体がだるいままに部活に出かけた。そんな
僕のもとに、先日僕をいじめた「岡松・小川」異母姉妹からうれしいメールが届いた。「誕
生日おめでとう」メールだ。どうして僕の誕生日を知っていたのだろう。そうか、岡松さん
が、このHPを見て、今日が僕の誕生日だということを知って、それを小川さんに伝えた
らしい。そして、江口くんにも。だから、計3人の友達から「おめでとう」メールが届いた。
その他にも、同じ部活の山下くんからは、下の写真のような「BOSS缶」ならぬ「BOZU
(ボーズ)缶」のコップをもらった。誕生日を覚えてもらって、メールやプレゼントをもらえる
というのはとてもうれしい。

 そして、家に帰ると例のごとく儀式が待っている。昨年より一回り大きな(直径18センチ)
ケーキが用意してあって、大きいローソク1本と小さいローソク8本立てて、それに火をつ
け、僕が吹き消すところを写真に撮る、というあのクサイ儀式だ。しかし、これをやらない
と、このケーキをモノにすることができない。もーのすごく、ケーキを食べたかった僕は、し
ぶしぶこの儀式の主役を演じさせられてしまった。でも、これもきっと今年で最後だ。大学
生になってまで、こんなことがやれるかー。来年は、彼女を作って、2人きりで誕生日を
祝うんだー。などと言っても、絶対そんなことはありえないよねー。

 参考までに、昨年の僕の誕生日の写真は → ココ
山下くんからプレゼントしてもらった「BOZU缶」のコップ
正面からみた「BOZU缶」 上から見た「BOZU缶」 「BOZU缶」の裏側

きっと今年で終わりにしたい、誕生日のクサイ儀式
ケーキのロウソクを吹き消す僕 シュークリームの乗った美味しそうなケーキ ケーキをほおばる僕
ロウソクの火を吹き消す僕 美味しそうなシュークリームの
乗ったバースディケーキ
待ちきれなくて、ケーキを口に運ぶ僕

   2003. 4. 1(火)

 さあ、新年度が始まった。と言っても三学期の終業式の日にクラス替えの発表があり、
春休みの課外は新しい教室で、新しいクラスメートと受けているから、既に3年生は始ま
っているのである。改めて新年度と言うほどのこともない。

 ところで、今日は4/1。「エープリルフール」である。こういうことに疎い(3日後に迫った
僕の誕生日すら忘れてしまうほどの僕だから・・・)僕は、友達のウソにまんまと引っかか
ってしまった。

 僕と同じバドミントン部のYさんとTさん(どちらも女子)が僕にマジ顔で、「体育の早川先
生、結婚するらしいよ」と言う。「まさかー」とは思ったが、「まじー?」と聞いてしまった。
「わーい、引っかかった」と見事にからかわれてしまった。そう言えば、この前は、小川さ
んと岡松さん(いつも僕をいじめているので敢えて名前を書く!)が「実は、私達異母姉妹
なのよ」と言う。事細かにその事情を話す。そんなこと絶対にない、と思ったが、うちに帰
って母ちゃんに話したら、「ばかねー、あんたからかわれてるのよ」と、母ちゃんにまでバ
カにされてしまった。くやしい。僕って純真だから引っかかりやすいんだよねー。

 そう言えば、今日のニュースで小泉首相と民主党の菅代表もみえみえの(あるいは本
人たちは以外と本気だったのかも)ウソを記者会見で話していたよなー。それなのに、
あーそれなのに、簡単に引っかかってしまう僕・・・。と、こんなわけで、僕の新年度は始
まったのであります。

 これから一年間の僕の決意を表すために、下の写真を貼り付けます。
これから使う教科書 月刊バドミントンマガジン 塾で使っている英字新聞
これから使う教科書です ぼくの唯一の楽しみ
月刊バドミントンマガジン
塾で使っている英字新聞
(予習をしていかないとチンプンカンプン)